第1回のゲストはクリエイティブディレクター、モーションアーチストの山本信一さんです。聞き手はDrillの西田淳さん。
山本信一 Synichi Yamamoto プロフィール
株式会社オムニバス・ジャパン クリエイティブディレクター、長岡造形大学造形学部デザイン学科 教授
90年代からメディアアーティストとしてのビデオアートに取り組み、中谷芙二子氏のビデオギャラリーSCANやイメージフォーラムに参加。
00年前後頃、デジタルグラフィックムーブメントの中でモーショングラフィックスの映像作品を発表する。カナダの「MUTEK」をはじめ、メキシコ、サウジアラビア、ベルギーなどでオーディオビジュアルパフォーマンスを行う。
13年、日本科学未来館の地球ディスプレイ作品「軌跡〜The Movements」同3Dドーム映像作品「9次元から来た男」
世界各地のビデオフェスティバルで入選、選出。文化庁メディア芸術祭 入選

西田淳 Jun Nishida プロフィール
株式会社ドリルCCO ヴィジュアル・ストラテジスト
イマーシブ・ミュージアム プランナー
NTTドコモ「森の木琴」やOK Goの「I Won’t Let You Down」、別府市「湯〜園地計画」など、国際的に高く評価された映像作品をはじめ、映像と空間、テクノロジーを掛け合わせた知覚体験を設計するヴィジュアルストラテジストとして、メディアやジャンルを横断しながら様々な映像コンテンツの企画制作を手がける。
” EXPANDED MOVIES (拡張映像) ”をテーマに物語性(Content)と文脈性(Context)を掛け合わせて企画し、16:9の映像だけでなく大規模なプロジェクションマッピングやインスタレーション、常設のパブリックアート、ミュージカルや宝塚などの舞台映像演出、マルチメディアアート作品や音と連動したパフォーマンスまで、実験的で多様な映像体験を通じて、新たなストーリーテリングの形を探求している。

01 映像を始めたきっかけ
YMO、テクノ、テクノポリスに目覚めた中学2年生の頃
YMO イエロー・マジック・オーケストラ
1978年に細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一の3人で結成された日本の音楽グループ。略称、通称はY.M.O.もしくはYMO。 1980年代初頭に巻き起こったテクノ / ニュー・ウェイヴのムーブメントの中心にいたグループの一つ。
映像を作るために最先端のポスプロに入る
オムニバス・ジャパン
1987年、カナダ・トロントに本社を置くCG会社オムニバスOMUNIBUS社と東北新社が共同で設立。同年、本社オムニバスは設立から1年で倒産、日本にあるブランチだけが存続するという形となる。オムニバス・ジャパンOMNIBUS JAPANはその後大きく発展、日本国内でも有数の編集CGVFXの総合ポストプロダクションとして名を残している。


オムニバス本社のロゴと日本オムニバスジャパンのロゴ
ペイントボックス、ハリー、ヘンリー
80年代の編集室のデジタル化の流れの中で、まず最初に現れたのは81年に登場したペイントボックスPaintBoxだった。英国 クォンテルQuantel社の発表したペイントボックスPaintBoxは巨大なタブレットが付き、高解像度5000x 4000の画像を高速に処理することが可能な製品だった。瞬く間に編集室に導入され、それまでの清刷りと呼ばれるアナログなタイトル、ロゴ、イラストをデジタルで作成し、デジタル加工処理をすることで3次元的な動きを作りだしていた。
1986年、ハリーHarryが登場し、編集、合成エフェクトの処理能力が高まっていった。当時としては解像度720x 486の画像や80秒程度のストア映像を高速に処理することが出来る画期的なものだった。

インフェルノ、フレーム、フリント
90年代に入り、シリコングラフィックスSGI社がグラフィックス・ワークステーションを世に出す。当時、3DCGのワークステーションとしてその存在を確固たるものとした。その最上位機種にあたるオニキスONYX、そこで動く初めての合成、編集のためのツールがディスクリートDiscreet Logic社(現オートデスク社)が開発した「インフェルノ」と呼ばれるものだった。下位機種として「フレームFlame」、「フリントFlint」も登場し、のちに、編集室の機材を一新するまで成長する。

02 映像を発表する場を求めて
自分がエディターではなく、アーチストのいる場所ではないと気付く
ポスプロの中で作品を作り出す ポスプロが実験場だった
イメージフォーラム
1980年にかわなかのぶひろが編集長として『月刊イメージフォーラム』を創刊し、映像文化を牽引。実験映画、アングラ映像の拠点として活発に活動し、1987年には実験映画祭を継承・発展させ、映像コンペティションの場として「イメージフォーラム・フェスティバル」を開始、山村浩二など個人映像作家を輩出した。実験映像・個人映画の拠点: 既存の商業映画とは異なる、アートアニメーションや個人映画の制作・上映・研究の拠点となった。
中谷芙二子 Fujiko Nakaya
日本の芸術家。その作風から「霧の彫刻家」の別名を持ち、人工の霧を使った『霧の彫刻』と呼ばれる作品群や、メディア・アートの活動で知られる。自然環境と人間の関係、メディア環境と人間の関係などをテーマとしている。
ビデオ・アートの黎明期である1970年代から映像作品を制作し、日本初のビデオ・アート専門ギャラリー「ビデオギャラリーSCAN」を設立してビデオ作家を支援した。
ビデオギャラリーSCAN
中谷芙二子が1980年に、ビデオアート専門のギャラリーとして原宿にオープン、80年代の日本のビデオアートの中心的存在として機能した。山口勝弘、かわなかのぶひろ、松本俊夫らの活動や、ナム・ジュン・パイク、ヴィオラ、ゲイリー・ヒルをはじめとする海外ビデオアーティストの受け入れ先の役割を担った。
03 スクリーンの外へ
「Powers of Ten」
チャールズ・イームズとレイ・イームズ夫妻によって1977年に製作された教育映画。Powerは「冪乗」という意味で、「10の冪(power of ten, 10n)」のこと。1平方メートルの範囲から、冪指数を増加・減少させたときのものの見え方の変化を描いている。
時間の「Powers of Ten」
大きさの軸ではなく、時間の軸を拡大縮小していく
「Time Particles」(2015)
04 活動の枠を超えて
日本科学未来館
3Dドーム映像「9次元からの男」(2016)
池田亮司 Ryoji Ikeda
フランス・パリで活動する日本の電子音楽、実験音楽のミュージシャン、現代美術作家。岐阜県出身。パフォーマンス集団ダムタイプ(Dumb Type)の舞台音楽も担当している。超音波や周波数などに焦点を当てた、物理的・数学的アプローチを多用し、音楽や視覚芸術作品を生み出す。
MUTEK(2018)
MUTEK.JP 2018 – First Wave of Artists
05 映像の枠を超えて
没入と客観視

「Noesis」(2017,2018)
ひとつの映像データをマルチバース的にアウトプットしていく。
Noesis 球体映像表現の共同検証プロジェクト (2017-2018)
Synichi Yamamoto, Seiichi Sega & Intercity-Express
MUTEK 竹川潤一 Junichi Takekawa
⼈の創造性が芽⽣える瞬間をアートとテクノロジーの時空をこえたつながりで⾒出す体験をつくりあげる。思考の異なる産業・業界を超えるプロジェクトの企画⽴案設計や演出で新しい体験を常に探求。アジア唯⼀の電⼦⾳楽とデジタルアートの祭典『MUTEK.JP』のクリエイティブディレクター、⼀般社団法⼈MUTEK Japan理事。コンテンツ開発やライブエンタテインメントに関わるクリエイティブワークを行うdavid watts inc.の代表。文化芸術に関わる才能豊かな人材の発掘・育成をサポートし、常に新しいアイデアやコンテンツの創出支援をコンセプトに掲げ、自由で実験的な表現の場を提供するクリエイティブプラットフォームのグローバル展開を図る。
06 街の風景へのアプローチ
新宿デザインフェスタ(2013~)
街にサイネージにアート作品を映す
木下真理子
書道家。東アジアで古来受け継がれている伝統文化としての書を探求。 専門は漢字(篆書、隷書、草書、行書、楷書)であるが、女性の感性を生かした漢字仮名交じりの書にも取り組んでいる。
Fragments – Teaser
鴨長明の『方丈記』をモチーフにしたアート作品に、映像作家・山本信一意地が時間軸を与え、さらに音楽家・コリーフラーが『方丈記』の言葉を分解・再構築したサウンドによって構成された映像作品。
——————–後半へ続く




